はじめまして、未来からの僕の親友


異性と付き合っている人や、結婚をしている人は、どうしてそうなったんだろう。
好きという理由ではなく、ただの独占欲なんだろうか。形がほしいんだろうか。


私なりに咀嚼したって、結局100%理解することはできない。
支えて行くんじゃなく、一人で立てるようにさせなければいけない。


今更、頼りにされたいわけじゃない。一度もなかったことを望んだりはしない。
でも、それなら私に意味がない。都合の良い母親にはなりたくないよ。

僕はどこかでつらつら揺れているでしょう


今週は先輩達の卒業制作プレゼンを一日かけて見ました。
あと二年で私達もあんな作品が作れるようになるんだろうか。


金額的にも驚いたけど、みんな特別好きなことや得意なものがあって、少し不安になった。
わたしはそういうものがないかもしれない。ただ漠然と、なんとなく好きなだけだから。


来年はゼミを選ぶことになるけど、正直どちらでもいい。
人が少ない方を選んでしまいそう。こんなんでいいのかな。


特別に好きなことを見つけたい。

この幸せがあなたの幸せであること


雪のせいの車両故障かはわからないけど、7時から10時まで上り下り共に電車が止まっていた。急病人も何人か出ていたみたい。
小さな駅のホームや階段、通路には人がごった返していて、懐かしい顔をたくさん見た(向こうは絶対に気づいていないだろうけど)。
2時間待っても電車が来ないので、降り積もる雪の中を帰りました。すぐにHPを見たら運転を再開したと書いてあって一気に疲れた。
でも運転を再開した時間はまだ駅にいて、アナウンスでも運転の目処は立っていないと言っていた。どういうことなんだろう。




以下、少し重い話です。



今朝、飼っていた犬が亡くなりました。起きてすぐに母が泣きながら天国に行ったことを伝えてくれた。
言葉だけじゃよく理解できなくて急いで見に行ったら、横たわった体の上に毛布がかけてあった。
目を開いたまま冷たく硬くなっていて、本当に死んだんだとわかった途端に涙が出てきた。
母が起きたときにはまだ生きていて、父が「母さんが起きてくるのを待っていて、顔を見て安心して逝ったんだ。」と言っていた。
それが唯一の救い。でも、あんなに暗くて寒い場所で死を待っていたのかと思うとすごく辛い。
小さい頃からの思い出を遡っては泣き、大人になるにつれて遊ばなくなったことを悔い、最期の時間を一緒に過ごせなかったことを申し訳なく思う。
3時頃、両親が早く帰ってきて火葬へ行った。小さい段ボールに彼を入れて、トランクに詰め込んで行った。
あともう少しでお別れなんだと思うと涙が止まらなくて、行きも帰りもひたすら泣き続けた。
火葬場は寒くて暗い場所で、他の犬はいなかった。こんなに雪が積もっている日にくる人なんていないよね。
以前飼っていた犬を連れて行ったときは、他にもたくさんの段ボールが積み上げてあったらしい。
でも今回はひとりぼっち。焼かれるのは明後日。あんな狭いところに残してきてしまってごめんね。魂はまだ家にいるかな。
帰ってきてさっきまで彼がいた場所を見ても、もういない。昨日まで生きていたのに、もう会うことはできない。触ることも声を聞くこともできない。
もう涙も枯れたと思っていたのに、文を打ちながらまた泣いている。明日からは泣かないように頑張らないと。
私がずっと泣いていたら、彼は雨降り地区から抜け出せない。こういう話は人間が作り出した都合の良い話だと思う自分もいる。
ただ救われたいがための話だと。でも少なくとも彼はもう苦しんでいない。今はちゃんと立てるし、目も見えるし、吠えることもできる。
きっと天国は明るくて暖かくて、こっちよりも居心地がいいよ。ご飯だって、豪華だよ。だから、どうか幸せでいてください。
私は天国に行ける自信がないけど、またいつか会えると信じたい。夢の中でも思い出の中でも、会えたら嬉しいな。
今はまだその度に泣いてしまうかもしれないけど、ちゃんと少しずつ強くなっていきます。
他の子達と遊びながらでいいから、天国からずっと見守っていてほしい。私も思い続けます。今まで本当にありがとう。

この悲しみがあなたの悲しみであること


思えば、私は生まれてから一度も身近な人を亡くしたことがない。幸せなことだと思う。
だから、家族や友人を亡くした人の話を目にすると、すごく怖くなる。私はそれに耐えることができるのか。


私が死んだら、両親は悲しむ。両親が死んだら、私は悲しむ。でも、どちらかが必ず相手の死に直面しなければいけない。
それは私でないといけない。見取ることができて幸せだと、思わないといけない。できるかな。


飼っている犬がもう長くなさそう。立つことも口を開けることもできない。
私が幼稚園児の頃にもらってきた犬だから、もう十数年も生きていることになる。


今になって、もっと散歩に行ってあげれば、遊んであげれば、おいしいものを食べさせてあげれば、と後悔が押しよせてきて辛い。
死んでほしくないと思っているはずなのに、痙攣している姿を見ると「もうがんばらなくていいよ。」と言いたくなる。


以前飼っていた犬は車に轢かれて突然亡くなった。まだ小さい頃だったので悲しい感情しかなく、ただひたすら泣いていたのを覚えている。
でも今私は二十歳で、死は必ず訪れることを知っている。どうしようもできないことが、この世にはたくさんある。


犬は私達の家に来てよかったと思っているだろうか。もっと良い家に飼われたかったと思っていないだろうか。
頑張ってほしい、頑張ってほしくない、楽にしてあげたい、死んでほしくない、終わりなんてこなければいい。
ほんと、大人になったって変わらない。どうしようもできないことでも祈るし、子供みたいに泣きそうになる。


私がこんなんじゃいけないのに、いつまでグズグズしているんだろう。頑張ってくれているんだよ。それなのに、それなのに。

僕らの欲望が吹き飛ばすパレード


participate in the happiness of another.
人の幸せに参加する。



進級制作の為にギリギリまで学校へ残って作業をする日々。いつもは一人なんだけど、最近はもう一人残っている子がいる。


今日も二人でちまちまと下書きをしていて、私はキリがいいところまで終わったので帰ろうと片付けをしていたら、小腹が空いたときに食べようと思っていたお菓子が残っていたので、「お疲れさま、頑張ってね。」という言葉と一緒に渡そうと思った。


それなのに、それなのに、キョドってどこか遠くを見ながら「あげる。」って渡してしまった、、。
「お疲れさま。」や「頑張ってね。」の簡単な一言も言えない自分が嫌だ。嫌だ。

毎日、たった少し、二人は死んでいく


どの花もうつくしい。
all flowers are beautiful,without any exceptions.



自販機で買おうと思ったドリンクとは別のボタンを押してしまった。ブラックコーヒーは飲めません。


寒すぎて暖かい場所にいるだけでも幸せを感じるようになってきた。満員電車の中でも。
この調子で夏は涼しい場所、秋は美味しい食べ物で幸せを感じられるようになろう。


ただ、春は何もない。新しいことがたくさん始まる季節だから好きになれない。
新学期や入学式が近くなると体調を崩していた子供時代を思い出す、、。